2012年8月28日火曜日

本のこと 「空海の風景」 つづき

昼過ぎまで、暑さにうだってどうしょうもない。

昨日、夕方近く、自転車散歩にでた。田んぼに赤とんぼが乱舞している。風が心地よい。
緑があるのはありがたい。


さて、空海は、少年期から一族縁者から大事に勉学に励めるように庇護されていた。いずれ都で役人として栄達を望まれたのだろう。最初、国学に入り、わずかな期間在籍したが、中央の大学を目指すために、縁者を頼って讃岐の国を出る。

都は桓武天皇の時代である。長岡京の叔父のもとへ行く。大学への受験期間に、空海は叔父から基礎的な学問を直接授かる。大学では、吏僚として必要な学科を学ぶ明経科を進められ、それに従う。空海は、膨大なもろもろの注疏の暗誦をしていっさい創意が許されない環境にいたたまれなくなり、ついに脱出する。大学の学生であることを捨てる。十八歳である。

国家は官僧以外を認めず、私度僧を卑しめるように乞食としてあつかった。その私度僧になった。

このとき、空海は「三教指帰」戯曲を書いて、仏教へのこころざしを明らかにする。

三教とは、儒教、道教、仏教のことで、空海の化身らしい乞児が三経について語り、仏教の優れていることを説く。

人間とはなにか。十八歳の空海のとって性欲は人間の不思議さを考えるきっかけとなる。世の成り立ち、仕組み、決め事のむなしさというか、儒教、道教は現実世界を超えていない。宇宙、人間のふしぎさに答えを与えていない。

この「三教指帰」戯曲を書いて、学生を捨て、私度僧になる決心を明らかにしている。

しかし、この時代にこのような表現ができる背景は、空海の学殖の深さは、と考えると天才としか言いようがない。




0 件のコメント:

コメントを投稿