2012年9月30日日曜日

中国のこと  一党独裁の腐敗国家  

この間、あるネット上の記事で、中国人が、日本のことを罵倒し、ついでに遣唐使の時代、朝貢時代に戻してやると言っていた。

いずれにしても、この国とどう付き合うか、改めて考えないといけない。

敗戦後、必死になって日本の再建を果たし、経済大国になる過程で、戦争中のことを負い目に感じつつ、なんとか友好関係を構築しようと努力した。その一つが、賠償の意味を込めた経済協力であり、無償援助であった。政府もこれらについて、どのくらいの金額が投じられたか明らかにしていないので分からない。どこかで統計を見たいものだ。

それより反日の時代がこれからも長く続くことを覚悟したほうが良いと思う。今回の尖閣の問題を契機に、いままでの友好関係がいかにもろい、いい加減なまやかしの結果と反省したほうが良い。

なぜなら、中国は一党独裁の腐敗国家なのだから、普通の感覚では付き合うのは無理と思うべきだ。高級官僚、富裕階級は海外に資産を移転したり、親族に外国籍を持たしたりと、好き勝手にやっている国ではないか。

また、前国家主席の江沢民が進め、いまも継続している反日・憎日教育がなくならない限り、そしてまともな教育が行われ、その世代が育つまでは、ずっと緊張関係が続く。

日本と中国の長い歴史は、千年以上緊張関係にあったことを忘れてはいけない。


2012年9月27日木曜日

本のこと  サラ・パレツキー 

昨日、山から下って、東海道を大磯から平塚、相模川沿いに走った。風が気持ちよい。
赤とんぼが乱舞し、稲の刈り入れもあちこち進んでいる。

一転、今日は風が強く。肌寒いくらい。

本箱にサラ・パレツキーのシリーズもの、5冊入れる。主人公は、空手の得意な美人探偵 愛称 ヴィク。愛すべき、お人好し。弱いものいじめをする者を憎む。なんでも自分で解決しようとする。
向こう見ず。




シカゴ大を卒業して、弁護士になるが、弁護士家業に幻滅し、私立探偵になる。元夫は同じ事務所の弁護士。社会派と言って良い。

はじめて手にしたのは、「ブラック・リスト」 9・11後のアメリカと赤狩りの時代のアメリカが交錯する。死んだ黒人ジャーナリストの事件を追って行く。

テロとの戦いを掲げて「愛国者法」を成立させたアメリカに危惧を感じて執筆したとのこと。読み応えがあり、以来ファンだ。古本屋で見つけるたびに買っている。










2012年9月26日水曜日

本のこと  「空海の風景」つづき 10

なんとなく別れるのが惜しいような気持ちが続いていた。

もう一言、感想を。

空海が大学を飛び出し、修行にむかうときに、その姿を尋ねられた。

「三教指帰」で、これは兜率天に行く旅姿だ。と言った。

空海自身が予告している死期が六日後にせまった三月十五日、弟子をあつめ、死期がせまったことを告げ、自分が死んだあとは、「兜率天に往生して、弥勒慈尊の御前に侍るべし」と。遺言した。



空海は、ずっと旅を続けている。

2012年9月24日月曜日

音楽のこと Maria Joao Pires 

おなじみ、ミニベロで図書館に、田圃のなかを走る。風が気持ちよい。

刈り入れも始まっている。サギがいた。

Maria Joao Pires とAugustin Dumay のMozart Sonatas for Piano and Violinを借りる。

いつもながら、Pires のピアノは素晴しい。Dumay のヴァイオリンとの共演は抜群だ。しばらく、BGMはこれ。                                                                                                                                                                                 


2012年9月23日日曜日

早く選挙を  民主党は民主主義を踏みにじった

いまさらながら、民主党のマニフェストに期待して投票し、政権交代を支持した云々は後悔先に立たずである。

これほど、民意を無視して突っ走る野田政権、民主党議員は民主主義の基本を知らないのか、知っていても無視すべきと考えているのか。

小泉政権の無策から、格差社会が現出し、自民党の長期政権の弊害に歯止めをかけてくれると期待した民意が民主党に政権をもたらした。

その原点を忘れた野田首相、民主党の退陣を望む。

おりしも、輿石幹事長続投とか。解散先送りの張本人を続投させる野田首相の魂胆丸見えである。

とにかく、民主主義の息の根を止めないでくれ!!


早く選挙を  あきれた外務大臣

9月21日 NHK は、「玄葉外務大臣が、沖縄県の尖閣諸島の国有化について、先に中国の楊外相と意見を交わした際、「東京都の石原知事による購入を阻む唯一の方法」などという表現も使って、中国側から理解を得ようとしていたことが分かりました。」と報じた。

     http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120920/k10015169471000.html

これが、日本国の外務大臣。なんともお粗末ではないか。

野田首相の続投が決まったが、早く解散すべきだ。

2012年9月22日土曜日

本のこと  「空海の風景」 つづき 9

空海の帰国を待っていたかのように時代が動く。

桓武帝が崩御し、平城天皇の時代、やがて嵯峨天皇が即位する。

空海は、「御請来目録」を朝廷に上奏するように、高階真人遠成に託したのち、大宰府ですごす。密教の体系化がすすむ。

「御請来目録」やひとびとのうわさで、空海への関心、期待が都でひろがる。奈良仏教は、最澄の批判に抗するために、最澄は、自らの密教の不足を補うために、期待した。

翌年、都に上り、その教えを伝えよ、という勅命が下り、和泉国槙尾山寺に入る。翌年、高雄山寺に住す。この年、東大寺別当になる。その翌年、山城国乙訓寺別当となる。実に、慌ただしい。

嵯峨天皇との交流がはじまっている。

そして、帰国十年後、嵯峨天皇に請い、高野山を賜る。2年後、伽藍の建立に着手する。あくまでも、私寺としてである。浄財を集める苦労もあった。

一方、満膿池の修築工事の別当となり、わずか3ヶ月で完成する。

高野山をひらいてから、7年後、嵯峨天皇により東寺を賜り、密教の根本道場とする。勅により、教王護国寺と号する。五十人の僧を常住させ、修学がはじまる。

まもなく、日本最初の私立学校「綜芸種智院」を開設する。その設立趣意書に、「貴賎を論ぜず、貧富を看ず」とある。教授科目も、仏教のみならず、儒教、道教を並べた。

これも日本最初になる漢字字典「篆隷万象名儀」を編纂した。

空海が、この国にもたらした真言密教の真髄は、絶対平等主義にある。また、曼荼羅にもあるようにすべてのものに仏性が宿るとされる。

実に、楽しい、ものの見方を考えさせられる「空海の風景」であった。


















2012年9月20日木曜日

福島のこと  事故は終わっていない

福島第一原発の事故から1年半。実は今、同原発の「4号機」が、さらなる放射性物質を地上に撒き散らし、人類を未曾有の危険にさらそうとしている。それなのに国と東電にはまるで危機感がない---。外交官時代から脱原発の志を貫いてきた信念の人・村田光平さん(元駐スイス大使)が、その空恐ろしい実情を語る。

            http://gendai.ismedia.jp/articles/-/33518

この記事を読んで愕然とした。

政府、東電は、もう忘れたのか?

事故はまだ終わっていない。

先日、郡山に行ったが、友人の話では、注目されている地点の除染は進んでいるが、その他は手つかずが実情だそうだ。

特に、山林はどうしようもないとのこと。

不安が無力感を生んでいる。

そのうえ、上の記事のような政府、東電の姿勢を知ると恐ろしい。

2012年9月19日水曜日

早く選挙を 

9月14日「2030年代に原発稼働ゼロ」を目指す新しいエネルギー政策「革新的エネルギー・環境戦略」をまとめて、近く閣議決定するとの記事がでた。と思ったら、19日、先送りすることになった。

革新的云々を、言い換えれば、確信犯的二枚舌ということではないか。

民主、野田政権の二枚舌には、もううんざり。


近いうち解散も、状況が変わったと言いはじめた。

2012年9月16日日曜日

本のこと 「空海の風景」 つづき 8

空海は、恵果から「金剛頂経系」、「大日経系」、ふたつの系統の密教を受け継いだ。恵果はかねがね両部はじつは一つのものだ。と言っていた。が、これを論理的に体系化はしていなかった。著述していなかった。

「金剛頂経系」は、精神の原理を説き、「大日経系」は、物質の原理を説く。この「両部不二」を体系化する作業を、空海に託した。

空海は、帰国後、その作業に没頭することになる。

帰国後の空海の周りは騒がしい。最澄が、唐から帰国し、不完全のまま密教をもたらしており、桓武天皇の勅命をもって灌頂までおこなっていた。最澄は、空海のもたらしたものを知り、自らの不足しているところを補おうと、空海に経を借りたい、灌頂を授かりたい等依頼したりする。

密教が否定する筆授によろうとした。


最澄は、旧来の奈良仏教を論であり教ではないと否定した。しかし、空海の密教を、筆授によって自らの密教を補強しようとする方法をみると、論ではないか。最澄の生前、唐から請来したものは論の状態であり、死後、弟子たちが教にしたといえる。





  








2012年9月15日土曜日

早く選挙を  だまされることの責任

佐高信の本を読んでいたら、つぎのような一節があった。

「敗戦直後に、日本人のほとんどが、「だまされて」戦争に突入したと言い、自分の責任を溶解させようと思っていたころ、伊丹万作は「だまされたものは正しいとは、古来いかなる辞書にも決して書いてはいない」と断定し、「だまされるということ自体すでに一つの悪である」と主張しました。そして、「だまされていた」といって平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう、喝破したのです。」

おりしも、民・自両党の代表戦がはじまった。


伊丹の言葉を噛みしめつつ、早く総選挙を!!


2012年9月14日金曜日

本のこと 「空海の風景」 つづき 7

「「空海の風景」を旅する」NHK取材班 2002年刊には、写真があることと、司馬遼太郎が訪ねたころと違う風景がとらえられていること、曼荼羅の写真、図面等があること、で一緒にあると楽しい。

この中に、中国の赤岸村と青竜寺がでてくる。特に、青竜寺に感銘した。長安。現在は、西安。
ここに、日本真言宗諸派の基金により一九八四年落慶した、「恵果空海紀念堂」が建つ。

青竜寺は、1973年になるまで、西安の地下深く、埋もれており、密教の伝統がすたれていた。
80年代になって、遺跡を復元し、宗教の場として再生しようと動きはじめた。

空海が恵果から受け継ぎ、完成した密教が、千二百年のときを経て、日本から中国へ伝えられている。

空海の存在の大きさを感じる。


2012年9月12日水曜日

音楽のこと Maria Joao Pires

辻原 登 の「闇の奥」を読み始めて、Maria Joao Pires のことが出てきた。

横浜でのリサイタルのあと、インタビューで「演奏しているとき、わたしはある鋭い情緒、鋭い時間感覚につかまっている」と語った。

それは、ノスタルジアに似ているが、違う、と彼女はつづける。ポルトガル語に、saudade (サウダーデ)という美しい言葉がある。この言葉は他国語に訳せない。心象のなかに、風景のなかに、誰か大切な人が、物がない。不在が、淋しさと憧れ、悲しみをかきたてる。と同時に、それが喜びともなる。えもいわれぬ虚の感情・・・・・・。


彼女のモーツアルトを聴いているとき、なにか不思議な、どこか懐かしいと思う。このことだろうか。



2012年9月11日火曜日

本のこと 「空海の風景」 つづき 6

空海が遣唐使の一行に加わるときの状況に、なにか不思議なことが起こっているとしか思えなかった。一回目の出航が失敗しなければ、加われなかった。

唐に無事に着くこと、上陸許可の一件、そして、さらに長安に着いてから2年の間におきることは不思議というほか無い。

もちろん、空海の密教についての、それまでの修学、修行の激しさ、深さと究明心があってのものとは思うが、それにしても、青竜寺の恵果和尚が人生を終えようとする最後の数ヶ月という時期に空海が出現し、すでにいた弟子のなかからではなく、空海に全ての教えを授けるということの不思議さ、なんともいいようがない。

そして、20年の留学を2年に切り上げての帰国、この後、数十年遣唐使が送られなかったのだから、このときに空海が帰国しなければ、日本に密教がもたらされなかった。


空海のおかげで、密教の体系が日本において完成した。

旅のこと  青春18切符 西へ東へ

9月10日、青春18切符 今季終了。

8月31日 東海道本線、北陸本線、湖西線、東海道本線、山陽本線
9月6日  山陽本線、赤穂線、予讃線、土讃線
9月7日  山陽本線、東海道本線、
9月9日  東海道本線、東北本線/宇都宮線
9月10日 東北本線/宇都宮線、埼京線、武蔵野線、京浜東北線、東海道本線


やはり、空海ゆかりの地が良かった。

2012年9月6日木曜日

旅のこと  青春18切符 西へ  空海の讃岐

空海の生まれた讃岐、その指導で完成した満膿池を目指す。が、しかし、・・・・

岡山から高松へ、高松から多度津、塩入へ。

多度津から塩入は、朝、夕方でも、1時間に一本のワンマンカー、肝心の昼間、3時間電車なしである。田んぼの向こうに、四国に多いおむすび山みたいな山が点在する。稲はすでに刈り取られている。

塩入は無人駅で、駅近辺何もない。タクシーもない。

しかたなく、歩く。あまりの暑さに、途中ギブアップ。涼しくなったら、再挑戦。




「空海の風景」には、・・・・・満膿池の堰堤を基点にしていえば、その足もとは野である。西方は丘陵群はずっと海の方向に向かってのびて、その峰々うちの主峰をなすのが六百十六メートルの大麻山である。その大麻山とそれにつらなる峰のふもとこそ空海の佐伯氏が上代から幡居してきた土地である。・・・・・とある。

2012年9月4日火曜日

本のこと  「空海の風景」 つづき 5

空海は、留学生として渡海することを許可される。

途中、海上を34日間漂流した。漂着したところは、「福州長渓県赤岸鎮以南ノ海口」。ここでは、役人がどうすることもできず、「福州」へ行くようにといわれ洋上を去った。

福州でも、上陸を許可されなかった。遣唐使である証拠がなく、正使が説明しても理解されなかった。正使は、途方にくれているときに、空海のことを知り、嘆願書の起草を依頼する。

空海の起草した文章を読んで、役人は驚嘆し、上陸許可のうえ、長安に遣唐使のきたことを報告した。ここで、長安の都から勅使がくるまでに、ひと月近くいることになるが、この間空海は地元の文壇でも驚きをもって接遇された。


司馬遼太郎は、空海が歴史的空間に躍り出てくるのは、この瞬間であるという。

確かに、遣唐使の一行にくわわり、漂流、漂着、文章力の鮮やかさ、文壇での交流の華やかさ、どれをとっても、常人ではありえない。


やがて、長安から迎えが来て出立し、12月21日、長安の郊外に着いた。






2012年9月3日月曜日

旅のこと  高野山

大阪から南海電車で橋本に行く。高野線に乗り換え極楽橋、ここからケーブルカーで高野山駅に着く。

橋本から極楽橋まで、途中の高野下あたり、急に谷が深くなり、単線で深い谷を眼下に山肌に沿って登って行く。

この標高に広大な平地があるとは驚きだ。

空海は若いころ山野をめぐり修行しているときに、この地を見つけたようだ。

のちに、嵯峨天皇からこの地を賜り、一山を金剛峯寺と号した。いまでは大門から金剛峯寺、奥の院まで数々の寺院、塔、お堂が点在する一大霊場になっている。

やはり空海が建立をはじめた金堂、金剛峯寺のあたりが一番高野山らしい。大門をぬけ、しばらく歩くと金堂に着く、なかには金堂、根本大塔、御影堂、不動堂があり、蛇腹道を行くと金剛峯寺に着く。








根本大塔は朱塗りの大塔で、内陣に大日如来を本尊として金剛界四仏が安置され、曼荼羅世界を表徴している。

2012年9月2日日曜日

旅のこと  東寺

静かな寺域に入り、五重塔が遠望される。緑のあいだに塔が美しい。

大師堂があり、巨大な講堂と金堂が並ぶ。

講堂、その中は立体曼荼羅の世界だ。大日如来を中心に五智如来をはじめ二十一躯の仏像が安置されている。

金堂、薬師三尊と十二神将が安置されている。

五重塔、講堂、金堂、灌頂院の配置も曼荼羅世界だ。




                      
                       http://www.toji.or.jp/

本のこと  「空海の風景」 つづき 4

 空海、なぞの七年の空白。

空海は、山野をめぐり、寺にこもり、ついに「大日経」を発見する。さらには、室戸で、空と海しか見えない洞窟で、明星が体内に入るという異常な経験をする。

「大日経」は、インド僧によって長安にもたらされ、漢訳され、わずか5年で、日本に渡来したらしい。ところが、日本にもたらされてから、とりあげられず埋もれていた。

空海は奈良仏教の解脱をもって修行の目的とする教えにやりきれなかったのではないか。

空海は、生命を暢気で明るいものとして感ずる性格だったと思われるという。

いずれにしても、「大日経」を漢訳で読み、解せない部分を解明したいと願望するようになった。

入唐を決意する。


2012年9月1日土曜日

本のこと 「空海の風景」 つづき 3

空海は、山野をかけめぐり、「虚空蔵求聞持法」をひたすらとなえている。

どこで、なにを奇縁として、密教をひたすら極めようとしたのか?


仏教が渡来して、200年あまり経った時代。仏教は学問の対象であって宗教ではなかった。

とはいえ、悟り、解脱を求めていることは、釈迦の教えからも理解はされていた。

空海は、なぜそのような仏教に向かわず、密教の世界へ向かうのか?

司馬遼太郎は、ひとつには空海の性格をあげている。

まだ、さきに進めない。


旅のこと  青春18切符で西へ

西へ、「空海の風景」を携えてむかった。

富士川、大井川、天竜川、木曽川、相変わらずの風景。水が少ない。

大垣、関が原、近江八幡、激しく雨が降っている。

京都、雨はやんだが、蒸し暑い。これが京都。

駅、その周辺は商魂たくましく、賑わっているというか、猥雑。古都はどこにと思う。

東寺の寺域に入ると、静かだ。

五重塔、金堂、講堂、太子堂、ゆっくりとめぐる。

うちとそとの配置に曼荼羅を表しているという。