「空海の風景」を最初に手に入れたのは20年以上前のこと。装丁がめずらしく、またビニールカバーされており、なんとなく気になったことを憶えている。読後なにを感じたか記憶にない。
いつの間にか蔵書から消えていたが、あらためて手に入れた。奥付けを見ると、昭和50年とある。
不幸ヲ見テハ郷党相集フということが重なり、仏教というよりお経を聴かされつつ、空海が完成した密教とほかの仏教宗派との違いが気になってきた。学問的に研究しようなどと大それたことを考えていない。素朴になにか違うと思っただけだが、弘法大師空海の生涯とその時代を「空海の風景」を通して眺めたらどうだろうかと思いついた。少しづつ読んでいこう。
空海の生まれ故郷、讃岐の国のありよう。空海が指導して完成させ、いまも田をうるおし続けている満膿池のことを語りつつ、空海の一族佐伯氏、讃岐の国の学問の府、空海の学問のはじめのことから、奈良へ向かうところまでで、今日は終わる。
0 件のコメント:
コメントを投稿