空海の生まれた讃岐、その指導で完成した満膿池を目指す。が、しかし、・・・・
岡山から高松へ、高松から多度津、塩入へ。
多度津から塩入は、朝、夕方でも、1時間に一本のワンマンカー、肝心の昼間、3時間電車なしである。田んぼの向こうに、四国に多いおむすび山みたいな山が点在する。稲はすでに刈り取られている。
塩入は無人駅で、駅近辺何もない。タクシーもない。
しかたなく、歩く。あまりの暑さに、途中ギブアップ。涼しくなったら、再挑戦。
「空海の風景」には、・・・・・満膿池の堰堤を基点にしていえば、その足もとは野である。西方は丘陵群はずっと海の方向に向かってのびて、その峰々うちの主峰をなすのが六百十六メートルの大麻山である。その大麻山とそれにつらなる峰のふもとこそ空海の佐伯氏が上代から幡居してきた土地である。・・・・・とある。
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